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しょーてぃー氏:プロンプトスキルは作り手には重要ですが、エンドユーザーには不要であるべきだと考えています。我々が目指すべきは、ユーザーがシステムと自然にインタラクションできる世界観です。しかし、現状では多くのAIサービスがプロンプト入力を前提としており、これは本来目指すべき自然なインタラクションとは逆行しています。ユーザーに自然言語で指示を書き続けさせるのは、不自然な会話以上に負担がかかります。
さらに、多くのユーザーは自分が何をしたいのか、何をゴールとしているのかを明確に言語化することが難しいのが現状です。そのため、次のステップとしては、ユーザーの目標をAIがヒアリングやコーチングを通じて引き出していく仕組みが重要になると考えています。
しょーてぃー氏:今後の展望として、特に注力したいのが「認知バイアスへのアプローチ」です。私たちは自分の思考の枠組みや経験に囚われがちであり、それが新しいアイデアや体験の創出を意図せず阻害していることがあります。例えば、チームでブレインストーミングをしても、出てくるアイデアは一定の範囲に留まってしまいます。そこで、生成AIを活用してこの認知バイアスを乗り越える試みを行おうとしています。
「AI、AIの創造者、そしてAIのユーザーは、どのように道徳的責任を負うべきなのでしょうか?」 アグエラ・イ・アルカス副社長は問う。大量の数学的演算はどのように道徳的責任を負うべきなのか? と、ベンダー教授は問う。
「ここにはカテゴリー錯誤があります」とベンダー教授は言う。ハンナ所長とベンダー教授はアグエラ・イ・アルカス副社長の言うことを否定するだけにとどまらず、意味がないと主張する。「『AI』とか『AIたち』とか、あたかもこの世界の個人であるかのように言うのはやめてくれませんか?」
彼らは全く違うことについて議論しているように聞こえるかもしれない。だが、そうではない。両者とも、現在のAIブームを支えるテクノロジーである大規模言語モデル(LLM)について話しているのだ。ただ、AIについての議論の仕方がこれまで以上に二極化しているだけだ。
2022年の終わり、オープンAIがChatGPTをリリースした直後、このテクノロジーの奇妙さを何よりもよく表現した新しいミームがネット上で広まった。ほとんどのバージョンでは、触手と目玉だらけのラヴクラフトの怪物「ショゴス」が、ありのままの姿を隠すかのように、何の変哲もないスマイルマークの絵文字を掲げている。ChatGPTは、会話のやりとりにおいて人間らしく親しみやすい印象を与えるが、その外見の背後には計り知れない複雑さ、そして恐怖が潜んでいる。「それは、地下鉄の車両よりも広大な、形容しがたい恐ろしいものだった。原形質の泡の無定形の塊だった」と、H.P.ラヴクラフトは1936年の小説『狂気の山脈にて(原題:At the Mountains of Madness )』の中でショゴスについて書いている。