哲学としての写真機
先日、チューリップフェアに行った際、SIGMAのdp1 Quattroを持ち出して写真を撮りました。
foveonセンサーを使った唯一無二のカメラですが、ファインダーの無いカメラでは、人の居ない風景を構図作りながら切り取るのが不可能です。
dp1の色の仕上がりと、解像感。その場の空気の再現力はまさに「孤高」。
しかし、写真を作品として作り込むには道具として余りに不便なことを持ち出すたびに実感し、撮りたいように写真を撮れないことにストレスを感じていました。
5年前にSIGMAのfpとdp1を購入したときは、趣味のカメラに道具としての実用性を求めるよりも、圧倒的解像感とロマンを追求していましたが、結局のところいい写真を気持ちよく撮りたい欲求は高まっていきます。
写真を撮るには“道具”が要る
条件はファインダー付きなことと操作性、写りの質感、オートフォーカス。
僕はそこまでカメラ市場をウォッチしていないので、今買うならSonyかな~と漠然と考えていました。
そんな折Sonyのα7 IVを仕事で触る機会があり(工場設備の写真撮影)、操作感や、写りの雰囲気をじっくり検証することに。
しかし、あまりに派手でベタッとした写りと、Canonと比べた操作性の悪さに、一気に購買意欲が低下します。
Canon EOS R6 Mark2を知る
寿司屋を営む義理の両親が風景写真マニアなので、忙しい時期に手伝いに行くたびにカメラの話になるのですが、彼らは生粋のCanon派でした。
僕自身もCanonはポートレート撮影で長く使っていたので、操作性が良いのは分かっていたのですが、Sonyのようなオートフォーカスの良さや動画性能が特段優れているイメージが無く、なんとなく候補から外していましたが、EOS R6 Mark2という存在を教えてもらいます。
早速カメラのキタムラに行き、レンズをつけてもらって撮りまくってみたところ、AFが滅茶苦茶早くて感動します。構図を決めてから撮れるまでが速い。(というかfpに比べればなんでもそう)
そしてなんかボタンが多い!ジョイスティックでAFポイントを切り替えられるし、覚えれば色々出来そうです。(というかfpに比べれば…)
即購入を決めました。
これで作品が撮れるぜ。
作例