セツゾク

Hayato Shimada Portfolio & Blog

Site cover image

Calm Tech

AIの習熟

ChatGPT以後、エンジニアの働き方は大きく変わった。

ブログを調べてコードを書くのではなく、プロンプト(AIへの指示)を書いてコードを生成し、AIの成果物を検証したり、力学的な計算のような、答えが分かり切っているが時間のかかる問題について一瞬で回答を得たりといったように、良くも悪くもAIを中心に仕事が回っている。

ChatGPTにサインアップしていない人々にとっては驚くほど、一度使ってしまった側の人たちは常にブラウザのタブにChatGPTが居るのが「普通」になってしまっている。

そして、便利さと裏腹に現状の限界にも向き合い、何でもできる万能ツールではなく、はさみやのりのような道具として習熟しつつある。

  • 最新の情報には対応できない
  • 自分が過去に生成した成果に基づいた内容に引っ張られる
  • 殆どの場合何か間違っている(最高で90点)

特に3つ目の問題について、多くのメディアが危険性を騒ぎ立てるが、正常なエンジニアであれば回答を鵜呑みになどしない。(メディアや人を信用しないのと同様に)

考える力の低下

「AIを使うと数秒で答えが返ってくるので自分で考えなくなる。」

…といった懸念はAIを使うエンジニアに常に付きまとうことになる。

実際問題、コードを書く、読む力は低下している。(ような気もするし…むにゃむにゃ)

なんだか議論の余地がありそうなので深掘りしてみたいが、

  • そもそもプログラムのコードを考える時間よりも、プログラムで達成したい問題定義に時間が使える方が有意義なのでは?
  • コードを短時間で生成できるから、前よりも多くの情報に触れ、習熟が早まっているのでは?
  • 生成されたコードが正しいかどうかについて考えているのだから、コードの検証にリソースを割いているだけで、情報を調べたり、自分で入力したりといった無駄な時間とコード査読の有意義な時間を比較するのが間違っているのでは?

色々考えてみたが、この問題、実のところ議論が成り立っていない。

状況が変わってしまったのに、過去の状況と比較するのがナンセンスなのだ。

「今火星で暮らしているのに、何故地球で暮らしていた時の話をしないといけないのか?」という感じだ。

天気予報は天気予報士がやってくれていて、僕らは湿度を肌で感じたり、風向きが変わるのを感じる必要がなくなったように、僕らはAIが考えるべきことを考えなくてよくなったのだし、そもそもAIは人間の認知的負荷を減らす目的でつくられている。

「さあ残業無しで帰って猫を撫でよう!」

AIの反乱

誤解を解決したくて書くのだが、まず最初に言っておくとAIが反乱を起こしたら多くのエンジニアは滅茶苦茶興奮する。感動して、絶叫する。「スゲー!!!やったじゃん!!!」って。

が、しかし残念ながらそんなことは起こりえない。

  • 設計者は他人を傷つけないように仕事をする。
  • 人は他の人を傷つけてはならない。
  • だから人が作ったAIは他の人を傷つけない。

安心と安全は全てに最優先される。(この言葉は本当は「信用」に言い換えたほうがいいのだが)

そうでなくてはまず使ってもらえない。

陰謀論

「Open AIがChatGPTを使って裏から世界を牛耳ろうとしている。」

どうやって?

牛耳った後は?

世界の王になって何がしたいの?

議論に値しない。

というか支配者は歴史の中で変わってきたのだから別にいいのでは?