セツゾク

Hayato Shimada Portfolio & Blog

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傷を愛して

期待の虚像

30年生きてきて漸く分かったのですが、ほとんどの落胆は過度な期待から生じています。

特にブランドものはいろんな媒体によって、購買者の期待を過剰に増幅させているので、その魔法が解けてしまった時の落差が凄まじい事になります。

ずっと片想いだった人程、ちょっとした事で蛙化してしまうように。

期待で膨らんだ虚像は膨らめば膨らむほど、ちょっとした穴で弾けてしまうものです。

感情はただの落差

期待と落胆の落差をいかに感じないように努力できるかは、感情に振り回されずに生きるために重要です。

そしてもし落胆を感じてしまったとしても客観的にその状況を俯瞰できれば、現実だけを見る目があれば、私は今相対的な落差の中にいるのだと思い直すことができれば、どれほど生きるのが楽になるでしょうか。

傷を愛して

買った革靴に、初日に傷が入ってしまった。

これはどうしようもなく悲しい出来事です。

何故もっと気をつけて歩かなかったのか。

自分を責めたり、あんなに輝いていた革靴が、どうしようもなくみずぼらしく見えてしまったり。

他人から見れば気づかない、それはあなたの素敵な革靴であるにも関わらず、何故悲しいのか。

それは輝いていた新品と、少しの不注意によってついてしまった傷の落差があって、自分と靴を許せずに、前の状態への執着が強いからだけなのです。

人生という長い目で見れば、その感情が風化して青い思い出に変わるまでの時間は2年もないでしょう。

それならば今すぐにでも、その感情を愛して、傷を愛して、その革靴についた新しい思い出をもっと愛するべきなのです。

過去の執着を手放して、今この瞬間を素敵に変える努力とは、現在、過去、未来の全ての時間の為に等しく生きる努力なのです。