古い=良い?
モノづくりの現場で仕事をしていると、これまで生きてきたアパレルでの基本通念であった古い=良いという概念が覆っていきます。
ジーンズであれスウェットであれ、古いものは手が込んでいて、機械を使っていたとしてもその時代ならではのムラ感がいい味を出していたりしていて、大量生産の中で忘れられていた温もりのようなものを感じては興奮する。みたいな。
そういった「味わい」「揺らぎ」はモノづくりの現場では単なるノイズであって、安定した品質を適正な価格で提供することを追求してきた人間たちの努力が今の「製品」にはあるんですね。
「味わい」「揺らぎ」「温もり」といった隙間を詰めていって、製品としての純度が高いのがUNIQLOのようなファストブランドであるわけで、作り手の努力を見せないように、想像すらできないように透明度を高めているのが現代の工業製品なわけです。
服を楽しむ側としてはエラーコインのようなジーンズの不純な要素を大いに喜んでいたわけですが、当時のジーンズメーカー側からすればもっと良いものを楽に作りたいと、忸怩たる思いを感じていたのだろうと今では思ってしまいます。
その揺らぎはコントロールされている
とはいえ僕としては「味わい」の良さを否定したいわけではありません。
人生を楽しむことは感情の揺らぎを楽しむ事であるならば、製品の純度がその揺らぎに寄与しないならば、人生を彩る一部としては不良品。
Vintage衣料がこれほど人を惹きつけるのは、そのストーリーが、その揺らぎが、多くの人の感情を揺り動かす力があるからで、(誰かが作ったストーリーであったとしても)それを紡ぐだけの製品を目指してまた誰かが、その価値を再現しようとするはずです。
再現する。
偶然のストーリー性と必然のストーリー性には明確な差があります。
必然のストーリーは偶然の模倣であり、(最初にできたものを本物とするならば)偽物と言い換えることができます。
ここには議論の余地が多分にあるのですが、偶然から生まれたストーリーには、あたかも神が生み出したのような超越的なパワーがあることは否定できません。
製品の揺らぎを語るときに、偶然狙って生まれた揺らぎなのか、偶然を模倣した揺らぎなのかというコンテクストは、語り手と読み手の視点が180度変わってしまう程の威力を持っています。
製品だけで見れば、どちらもただ揺らいでいるだけなのだけれどね。
見る人が見れば、狙った揺らぎと、狙っていない揺らぎって、丸わかりになってしまうのも怖いのですが、偽物と本物、偶然と必然について、どう感じてどう楽しむかに、我々に与えられた唯一の自由[人生を楽しむこと]が詰まっていると思えてならないのです。
偽物を愛せる?
こういうのには多分順番があると思っていて。
本物を知って、偽物を馬鹿にして、本物に飽きて、精度の高い偽物に感動する。っていう順番になると思うんです。
このループを何度も何度も繰り返して、人生を味わい尽くしていくというか。
感情の起伏を楽しみたいんです。
飽きたら他の良さを感じてみたいというか。
人との感受性の差で自分を認識するみたいなことに置き換えても良いんですけれど。
とにかく、差異なんです。
僕は今1.5周目くらいで、本物に飽きて、精度の高い偽物に感動しているくらい。の感じ。
Olde Homesteader
現代の製品と思えない、けど思える。みたいな。
洋服を通して人生をしゃぶり尽くしたい人のための、現代のレプリカです。